新型コロナウイルスに関するシステム情報科学からの提言

新型コロナウイルスが誘起した社会変化に対する
システム情報科学からの提言

<発起人>
安浦 寛人(理事・副学長)
白谷 正治(システム情報科学研究院長)
荒川 豊
<賛同者(五十音順・2020年3月18日現在)>
池田 大輔
石田 繁巳
井上 弘士
岡村 耕二
川崎 洋
志堂寺 和則
島田 敬士

1.はじめに

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症の広がり(COVID-19: Coronavirus disease 2019の略称)は、これまで我々が経験したことのないような社会状況を生み出しています。この未曾有の状況は社会の活動とともに大学における教育・研究活動にも大きな影響を与えています。この状況をポジティブに捉えるとすれば、これまでの教育や研究、そして社会システムを見つめ直す良い機会であると言えます。そこで、システム情報科学に関する研究教育を実践する者の責務として、これまでの研究経験や今回の対応を踏まえ、教育と研究の両面から、今できることと、今後考えていくべきことを提言として発信することにいたしました。

2.教育に関する提言

初等中等教育における全国一斉休校要請措置や地域、学校単位での休校措置など、教育にも大きな影響が出ています。多くの学校では授業が実施できず、学びの機会が減少することや、学校が再開後に補講などの対策が必要となり学年歴にも大きな影響がでてしまいます。九州大学では、2013年から、国立総合大学として初めて、各学生が自分のPCを授業に持参するBYOD(Bring Your Own Device)制度を進めるとともに、e-learningシステムを拡充し、いつでもどこでも学べる環境を提供するとともに、習学状況や教育の質を多角的に分析するラーニングアナリティクスの研究を積極的に行っています。その経験を踏まえ、今できることと注意点、そして、これから考えていくべきことについてまとめました。

2.1. 今できることと注意点

現在、学びの機会を少しでも多くの方々に提供するために、教育関連の事業者は無料で教材を配布したり、学習塾などは無料で授業ビデオを配信したりする動きも広がっています。また、ビデオ会議サービスの無料提供も始まっています。このように、教育業界とICT業界が協力して、教育を止めない仕組みを提供できることは、今日の情報化社会がもたらした新しい形の学びの支援であると思います。広義の一斉配信に適したサービス、質疑応答など双方向のやり取りに適したサービスなどをうまく使い分けることで、物理的には学校が閉鎖されたとしても同等の学校教育を提供することができます。文部科学省も3月24日に、大学等の授業開始に関する特例措置を発出しました。
しかしながら、受講者側の視点と無料化されたサービスの持続性についても考えておく必要があります。インターネット接続用の高速の固定回線を契約できない学生もまだ少なくなく(本学の場合は約30%)、授業がオンライン提供されたとしても、携帯電話回線契約では月末はデータ量の制限で十分なアクセスができないということも笑い話ではありません。そのような学生には、大学内にパブリックビューイングのような教室を準備するなどの措置が必要でしょうが、一斉休校の指示が出れば意味がありません。ビデオアーカイブを準備し、時間差で閲覧できるようにするといったことも考えられますが、動画像をふんだんに使っていれば、冗句の通信回線問題は解消できません。無料化されたサービスを、全世界の大学が利用し始めると、サービスへの負荷、通信の負荷は相当なものになります。サービスが提供できなくなる可能性や無料サービスが終わった後の費用支払いについても考慮し、持続可能な形での教育ICT化を考えていく必要があります。また、社会全体がリモートワークなど通信回線に依存する割合が急激に増えるような環境下では、キャリアの回線自身が不足する事態も起き始めています。

2.2. これから考えていくべきこと

今回の新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、教育をオンライン授業で行う取り組みが国内外で一気に広がりました。しかし、それをすぐに実施できるかどうかは、各学校がすでにオンライン授業を実施できるインフラやソフトウェア、さらにはそれらを使った経験に大きく左右される結果となりました。教育の情報化は、教材をデジタル化したり、授業をアーカイブしたりするためだけのものではなく、今回のような非常時にも教育活動を止めることなく継続させるうえでも非常に重要な取り組みです。オンライン授業によって、いつでもどこでも学べるという利点は、今後平常時においても活用していくべきと言えるでしょう。一方で、オンライン授業で行う授業と物理空間で行う授業では、どうしても授業の質や学習達成度の質には違いが出てきてしまうのも事実です。従って、教育の情報化を行う上では、単に情報インフラを教育現場に導入するだけではなく、教育の質を保証し、学習成果のエビデンスを情報技術により支える仕組みが必要不可欠になります。世界ではラーニングアナリティクスと呼ばれる研究がそのような教育を支える情報技術として注目されています。わが国でも今後ますます情報技術による教育支援の研究ならびに現場への成果還元を加速させていく必要があると考えます。また、我が国の抱える大きな問題として、著作権法上の課題があります。教室内では、利用できる他人の著作物を公衆回線に乗せるだけで、違法行為となる現実を変えていく努力も必要です。

3.研究者視点での提言

これまで述べたように教育面では、情報技術が重要な役割を担っていることは明らかです。一方、デマ情報の拡散や高額転売などは、情報技術がもたらした負の側面であるとも言えます。以降では、情報拡散、セキュリティ、プライバシー、に関して、今回のパンデミックから学ぶべきことと今後の注意点などについてまとめました。

3.1. 情報技術による情報拡散と注意点

情報技術の進展により、最新の情報は、インターネットのニュースサイト、ソーシャルネットワーク(SNS: Social Network Service)などを介して、瞬く間に全世界へと発信されるようになりました。情報共有、速報性という点では、人類は大きな武器を手にしたと言えます。日々の感染の拡散状況を世界レベルでリアルタイムに確認でき、ウイルスの変異状況さえも日々公表されます(https://nextstrain.org/ncov)。また、医師が動画で告発を行うなど、隠された情報が表出するきっかけとも成り得ます。しかしながら、間違った情報あるいは意図的なデマが拡散するという問題も数多く社会問題となっています。
人間は、直感的思考と論理的思考という2通りの考え方をしており、日常生活では、常に論理的に考えている訳ではなく、直感で済ませることも多々あります。直感は楽な反面、間違うこともあります。例えば、ティッシュが品薄だと聞いた上で、売り切れているのを見ると、供給は十分という情報が無視されることもあります。これは人間の特性で、以前から存在する現象ですが、SNSで反射的に伝播するようになり、簡単に間違った情報が広がるようになりました。
今回の経験を踏まえ、まず、常に情報の信憑性、オリジナルの出典を確認する習慣を身につける必要があります。オープンデータの潮流により、今では、多くの国・自治体が実データを含め、多くの情報を公表していますし、一般の方でも学術論文にアクセス可能になっています。出典が定かではない場合、「簡単に納得できる説明」は疑ってみるという姿勢も大切です。例えば、ウイルスを出した黒幕がいるという陰謀説は、説明としては簡単で理解しやすため、もっともらしい「証拠」と合わせると、多くの人が受け入れてしまいがちです。善意の情報の共有は、間違った情報の拡散を助長する可能性があるということを認識し、確証が持てない場合は控えるという行動が大切です。また、公平な立場からFact Checkを行う活動もありますが、まだ十分な市民権を得ていないように見えます。
情報の正しい理解という意味では、今回、PCR検査に関連して、「偽陽性」「偽陰性」「感度」「特異度」という統計学で用いられる単語が説明に使われています。これらの意味がわからない一般人の場合、感染者数、死者数、そして、PCR検査数という数しか見えておらず、他国の情報を見て日本はPCR検査が少ないという論調になってしまっているようです。しかし、PCR検査の精度について自分で調べ、そこで出てくるこれらの用語について調べれば、やみくもに全員を検査し、入院させることは、医療崩壊を招きかねないことを理解できるはずです。情報過多の時代であるからこそ、自分で調べ、自分で理解する姿勢が大切です。

3.2. 在宅ワークとセキュリティの注意点

今回のCOVID-19によって、急激に変化した点として、自宅等職場以外の場所での仕事(リモートワーク)が推奨された点が挙げられます。リモートワークができない職種も多いですが、情報系の企業では、今回のパンデミックを機に、今後もリモートワークが勤務体系の一つとして組み込まれていくことが期待されいます。
ただし、セキュリティやプライバシー保護の観点では十分な注意が必要です。急にリモートワークを開始したところでは、自宅のネットワークや端末を使っているケースが多いのではないでしょうか。最近の組織のセキュリティ対策は、素晴らしく、外部からの攻撃はもちろん、メールに添付された脅威が外部と通信しようと思ってもそのほとんどは高性能なファイアウォールで制限されるようになっています。また、組織CSIRTによって職場内の脅威はすぐに発見され、対処されています。
それに対して、そのような機能のない自宅のネットワークはそのまま仕事をするのには非常に危険であるという認識をまず持つべきです。次に端末ですが、組織が支給し、仕事専用で不要なものが一切入っていない、あるいは、入れられない端末に比べ、家庭の端末はどうでしょうか。実際に危険な目にあっていない場合でも、それは幸運と考えて、今一度、職場と自宅のICT環境の違いを把握すべきです。それからもう一つは、職場以外の場所で職場の端末を利用するときに最も多く発生するインシデントは端末などの紛失、盗難です。紛失・盗難防止もある程度の注意があるのとないのではその被害にあう確率が異なります。普段、職場の端末を外に持ち出すことが少ない方は意識すべきでしょう。
次に職場からの重要な情報がメール連絡になる点です。重要なのは、その発信者が正規なものかどうかです。発信者が正規なものであることを証明することは、技術的に可能ですが、コストがかかるので、実際は対応していないことが多いのです。職場からくる重要な情報がもしも、巧妙な標的型攻撃であったらどうでしょうか。この観点を持つか、もたないかでセキュリティ対策はかなり変わると思います。
今後、企業は、内部の情報を守ったり、持ち出せないようにしたりするだけではなく、外部から安全に遠隔アクセスができる方法を検討し、その環境を整備し、自宅から安全に仕事ができるようにすることも重要になります。また、今回のようなパンデミック発生時を想定した安全・安心な情報伝達のための環境を整備する必要があります。また、セキュリティポリシーなども、非常時にある程度柔軟に変更できる仕組みを平時から準備しておくことも必要です。

3.3. プライバシーと情報公開の両立

COVID-19の拡散を防ぐためには、感染経路や感染状況などの適切な情報公開と、それに基づく適切な社会のコントロールが必要です。本学でも3月17日に感染者1名が報告されましたが、感染者と濃厚接触した人はもちろんのこと、濃厚接触者と接触した人に至るまで、自宅待機の通達と管理を行いました。この際、だれが感染者である、あるいは感染者と接触した可能性があると明示的に伝えることが難しく、「プライバシーの保護」と「感染拡大の防止」に存在するトレードオフ関係を痛感しました。また、自治体と大学などの所属する団体との情報公開の基準の違い、マスコミの興味に引きずられた対応など、平時から考えておくべきことが多々あります。当然ながら、感染者や濃厚接触者に対する差別的言動・行為はあってはなりません。たとえ、検査の結果が陰性であっても何らかの迫害対象になる可能性も捨てきれません。未確認の感染者を診療した医療機関の関係者えあるというだけでも差別されることも起こっています。
不当な差別のない、かつ、安全で安心な情報化社会を築くためには、重要な情報を的確かつ迅速に伝えると同時に、プライバシー情報の取り扱いについて様々な状況を想定した議論を継続すべきといえます。例えば、一概にルールを策定するのではなく、平常時と緊急時における個人情報の取り扱いを別のルールとするなどが考えられます。

4.おわりに

新型コロナウイルス感染症は、3月22日時点で30万人を超え、驚異的なスピードで全世界に広がっています。しかし、最初の感染から数か月経過しており、一瞬にして伝達される「情報」に比べると感染の拡大は非常に遅いとも言えます。それなのに、このように拡散されたのは、情報の表層的内容(何がおこっているか)の伝達はできている一方で、その危険度や重要性を解釈できず、対岸の火事のように見過ごしてしまう人類の行動特性の結果とも言えます。インターネットや通信網の普及は、世界規模での情報伝達を可能にしましたが、今後は、情報の解釈とそれに基づく行動を支援するための研究開発をより加速していく必要があります。同時に、こうした感染症の抑制と経済政策の両立も今後重要な課題となってくるでしょう。新型コロナウイルス感染症の拡散を抑制すべく、多くの国や地域において移動制限や活動自粛/禁止が実施されています。これらの対策は経済活動に大きな悪影響を及ぼし、経済的理由により命を奪われる場合もあることが指摘されています。つまり、今回のような世界的かつ社会的災害に対して備えるためには、社会学、行動心理学、医学、経済学、システム情報科学、などによる分野融合型の学際的研究の促進とその社会への還元がより重要になっていくと考えられます。